6/14(月)
キングオブコントの会,談義。
というよりも,僕は「松本人志」というカリスマについてこれを機会に自分の迷いを整理したい。
6/12(土)に放送された「キングオブコントの会」,非常に素晴らしい番組だった。
あのメンツ,あの尺,あの質のコントをゆっくり地上波で少し裏話を挟みながら観ることができるっていうのは,「お笑いのある世界に生まれてよかった」と感じさせる番組構成だった。いろいろ文句をつけたい人もいるだろうけど,今できる努力は最低限,視聴者,いや,僕よりももっとコアなお笑いファンにも伝わっていたと思う。
やっぱり番組のヒキは「松本人志,地上波で20年ぶりのコント」だと思う。僕もこれだけを楽しみに番組を待ちわびていた。で,実際に放送されたコントは僕もずっと笑っていた。期待していた狂気もはらんでいた。MHKでちょっと(あえて?)すっぽかされた「みんなが思う松ちゃんのコント」をきちんとやっていたと思う。
少しだけ脱線するが,松ちゃんはマジですごい。本当にすごい。信者が手放しに誉めているわけではなくて,結構マジで実感している。何で実感しているかというと,世代を越えた人気の度合いだ。
普段から学生と接することが多いので,本当に4月の年度当初どうしようもなく時間がつぶせないときに限って,オリエンテーションのときにふんわり「好きな芸能人」とかを入れた授業アンケートを聞くことがある。「こういう授業にしてほしい」とかああいう類のやつだ,ほかの職員がやっているのを見せてもらうこともあるが,このとき必ずアンケートの上位に入るのが「ダウンタウン」「松本」「浜田」の3つのワード。「第7世代」「第7世代」ともてはやされているが,別にめちゃめちゃ若者が第7を支持しているわけじゃない感じがする。僕より下の世代のおもしろいというのは非常に「内輪」に吸収されつつあって,みんなYouTuberやTicTokerの「おもしろい」をすごく見ているんだけど,そういう世代の子たちが迷いなく,そして数多く支持する「ダウンタウン」をカリスマと言わずして何と言おうか。
そういう子たちがあの「おめでとう」と「管理人」を見ていたかはまだわからないが,とりあえず下手したら彼らが触れる初めての「プレイヤー:松本人志」だった可能性がある。そういう人たちの感想を僕はとても欲している。
なぜかというと,twitter上でもめちゃくちゃ「懐かしい!」「ごっつ思い出す!」みたいに上がっていたけど,「既存のコントの焼き直し」感がゼロとは言い切れないからだ。
「おめでとう」は松ちゃんお得意のテレビコント,キャシーを想起させる突拍子もないアクションや,「世界一位」「グランドチャンピオン」を想起させる「・・・で,なんの?」感という,初めて見る人でもツッコミやすく見やすいコントだった。かと思いきや,最後のシーンの謎の後味の悪さで松ちゃんのセンスが思う存分に出ていた。
一方,「管理人」はテレビというよりはビジュアルバムでやっていた,「やりたいことをとことん突き詰める」タイプのコントだった。視聴者の多くは「ポカーン」だったかもしれない。信者もだいたいドヤってるけど「ポカーン」だと思う。
みんな気づいているのだろうか。それとも気づかずに目を伏せているのか。
「いや・・・別に新しくはないな・・・」
僕が抱いている感情は本当にここに尽きる。いろいろみんな「誰も傷つけない」だとか,本当にこの2~3年,お笑いの新しい形を模索しつづけている。その中で提示された松ちゃんのこの2本。僕は別に新しさを感じなかった。死ぬほどうれしくておもしろかったけど。このおもしろさが,「やっぱりいつもの松ちゃんだー!」っていうおもしろさなのか,「なーんだ,テレビでも全然ちゃんとコント作れるんじゃん」っていう冷笑を込めた賞賛なのか,自分の中の感情が整理できていない。
仮に,別に新しくないとしたら,もう30年近くも前にいまだに通じるコントのフォーマットを仕上げたその才能は本当にすごいと思う。
今日たまたま職場のデスクに置いてあった『「松本」の「遺書」』をパラパラと読んでみると,「俺は3歩先をいっている。でも世間はわからないから・・・」みたいな文章を見つけた。
土曜日見せてくれたあの2つのコントは,あえて「理解できない世間に合わせた」最大限の譲歩のコントだったのだろうか。俺たちはMHKで松ちゃんが見せてくれたあの姿を追いかけるべきなんだろうか。なんか信者としては死ぬほどおもしろかったけど,本当にもやもやする2本だった。
まだ結論は何も出ない。